服部のゆうゆうベトナム研修

このブログはキャリア体験学習です。 

スポーツに国の壁はない

 

 今日は午前中はぼっちで1ドルフォーを食べ、のんびりとしていました。1ドルフォーといっておきながら、20円くらい値上がりしていましたがちっちゃいことは気にしない。それがベトナムだもん。

 今日は午後になって自分にとってやりたいことであった現地の少年野球チームの練習にお邪魔させて頂きました。自分でアポを取り、色々と準備をしていた苦労もあってかめっちゃくちゃ気合い入り家から集合場所までタクシーを使わず、高校のユニフォームで爆走しました。こんなOBでごめんない。でも野球が出来る喜びを感じました。

  場所は台湾人学校のグランドですが正直野球をやるのには適していません。理由はほとんど天然芝だから上手くボールが転がりません。ベトナムではサッカーが盛んなため、グランドではサッカーをすることを意識しているのかなという設計でしょう。 

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 これが僕が参加したサイゴンフェニックスというチームです。そこでは日本人学校に通う小3から中3の子たちが毎週土曜日に練習しています。練習も日本とは全然変わらず、キャッチボール、トスバッティング、ノックといったメニューです。

 ベトナムで野球やっている子たちはどうしても野球をやりたいという理由以外にも運動する場所がホーチミン市内にはあまりない理由もあります。ここホーチミンは娯楽はあまりないので野球やらせていると言うママさんもいました。日本と違ってベトナムでは遊び、スポーツの種類があんまりないのかと思いました。そんな現実で、野球をどう教えるのか監督さんの苦悩もあります。野球を何となくやっているのにミスして怒られるのが嫌だという子も多少いるので、嫌いになって欲しくない。野球を楽しくやるのがここホーチミンでは大事です。ただ、サイゴンフェニックスで1番の問題は試合が出来ない。野球というのは試合があるから、練習をするものです。試合はたまにオーストラリア人のチームとやる程度、これでは野球を楽しむのは結構辛いですね。人数も学年によってまちまちでチームのレベルがある程度合わせるのは難しいものです。それだけベトナムでは野球が盛んではない現状にぶつかりました。2020年に東京オリンピックで野球を正式種目にしようといった広告を目にしますが、途上国ではまだまだ定着していないですね。うーん難しい。

 ベトナムに来てほとんど毎日萎縮、石館さんにも萎縮していますが今日初めてアイデンティティを取り戻したのか、ノックでは特大ホームランを打ったり、オッケーーーイ、ナイスボールゥ、イイネファーストと一人で声だしをしていました。サイゴンフェニックスはあまり声出ししない(選手へ監督も言いにくい)のが特徴ですが自分はお構いなく声を出してました。そんな時、自分に合わせて声を出してくれる方がいました。

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 なんとベトナム人のユンさんです。ちょっとお話していると意気投合して名刺交換をしてしまいました。彼はペタンクというスポーツのコーチを生業としている方です。驚くなかれ、彼はナショナルチームにいたこともある人でそれは日本でいう侍JAPANであり、ベトナム代表でした。現在はなくなったらしいのですが、彼は日本の石川県の星陵高校(松井秀喜本田圭佑の出身)にいったこともあるらしく山下監督のことも知ってましたし、昨年度はベトナムの野球チームの監督として日本に遠征したという連続して驚きです。どこで野球を学んだのかは濁されてしまいましたが、野球が大好きと言ってくれたユンさんに僕は感激してしまいました。日本語も少々話してくれるなどのコミュニケーションを取りましたが僕らに共通しているのは野球が好き、それだけです。それには国の壁はないのだと野球の競技人口が少ないベトナムで肌身を持って知りました。 

 その後、サイゴンフェニックスで出会った藤堂さんというみらい幼稚園で働く方とご飯を食べました。この方からも貴重なお話を伺えました。ベトナムに来てひしひしと思うのは日本人の繋がりが密接になったことです。異国の地で日本人に会うことに良い機会だからと積極的に聞ける自分がいます。

 今日はこんな長文ですがそれだけ自分は野球が好きなんだと思い、ベトナムでも野球をもっと教えたい自分が生まれました。日本人の子どもたちのキラキラした笑顔をベトナムの子どもたちからも見たいです。今日であったユンさんのような方が増えてくれるのが嬉しいです。それではごきげんよう。